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2026年5月18日

自治会に若い世代が「参加しない」本当の理由 ── 加入はしているのに、活動も入口も知られていない

「若い人が自治会に入ってくれない」とよく言われます。でもこの言葉は、二つの違う問題を一つにしています。そもそも加入しないのか、加入しているのに参加には出てこないのか。自治会理事になる前は『活動も入口も知らない住民』だった、ひとりの新住民の視点から、若い世代と自治会のあいだにある構造を整理しました。

著者: 呑名 健造

総会や理事会で、必ずどこかで出てくる言葉があります。「最近、若い人が入ってくれなくてね」「うちの自治会も高齢化が進んで、なり手がいない」。

地域の集まりで何度も耳にする、ごく当たり前の嘆きです。けれど、この言い方には、すでにひとつの思い込みが混じっています。

「若い人が入ってくれない」。本当に、そうでしょうか。

私自身、いまは自治会の地区理事をしていますが、その前は「自治会が何をしているのか、ほとんど知らない」住民のひとりでした。42歳、子育て世代。この地域に越してきて数年。会費は毎年払っていましたが、活動に参加したことは一度もありませんでした。

この記事は、その「外側にいた頃の自分」の視点から、若い世代と自治会のあいだにある距離を、できるだけ正確に整理してみる試みです。

「若い人が入ってくれない」── その言葉に混じっている、ひとつの思い込み

まず、自分が確かに知っていることと、知らないことを分けておきます。

自治会・町内会の加入率が全国的に低下傾向にあることは、総務省の研究会報告書で示されています。その主因のひとつとして「新しく地域に越してきた人や若年層の未加入」が挙げられています(総務省 地域コミュニティに関する研究会 報告書)。正直に言えば、私自身はこの地域の昔の加入率を知りません。だから「下がっている」と肌で語ることはできません。ここは調査が示すデータに拠ります。

自分の地域で確かに言えるのは、別のことです。自治会に加入していない世帯は、現にあります。ただ、その世帯がどの年代なのかまでは、私には把握できていません。だから「若い世代は加入していない」とも「若い世代の多くは加入している」とも、私は言い切れません。

それでも、この記事で書きたいことは、その数字とは別のところにあります。

「若い人が入ってくれない」という言葉は、実は二つの異なる問題を、ひとつにまとめてしまっています。ひとつは〈そもそも加入しない世帯〉の問題。もうひとつは〈加入しているのに、参加には出てこない世帯〉の問題です。

前者の規模を、私は語れません。けれど後者については、確実に言えることがあります。そういう世帯は、確かに存在します。なぜなら、数年前までの私自身が、まさにそれだったからです。

会費は毎年払っていました。自治会の存在は知っていました。それでも、活動には一度も出ていきませんでした。これは無関心とは少し違います。その違いを、外側にいた頃の自分の視点から、これから整理していきます。

知られていないのは、自治会の「活動」と「入口」

では、加入しているのに参加しない人は、なぜ参加しないのか。

「無関心だから」と片付けるのは簡単です。でも、理事になる前の自分を振り返ると、それは正確ではありませんでした。私は無関心だったのではなく、そもそも何が行われているのかを知らなかったのです。

自治会費を払うとき、その先で何にお金が使われ、どんな行事があり、どこに行けば参加できるのかは、ほとんど見えていませんでした。回覧板は回ってきます。でも、子育てと仕事に追われる平日、回覧板の束を一枚ずつ読み込み、自分に関係のある一行を探し出す余力は、正直なところありませんでした。

理事になって初めて、防災訓練があり、地域のお祭りがあり、親睦会があり、季節ごとの行事があることを「中から」知りました。外にいたときには、その情報の塊が、自分の生活の動線上に一度も現れてこなかったのです。

これは「無関心」ではありません。活動と、その入口が、知られていないという状態です。関心を持つ前に、そもそも知る機会がなかった、と言い換えてもいい。

順番が逆なのです。多くの議論は「関心を持ってもらうにはどうするか」から始まります。けれど現場で本当に欠けているのは、その手前の「知る入口」のほうでした。

問題は「若さ」ではなく、「地域への根付き」

ここで、もうひとつ思い込みを外したいと思います。

私はこの記事を「若い世代」の話として書き始めました。けれど、現場で感じる非対称は、年齢そのものよりも、その地域にどれだけ根付いているかによって生まれているように思います。

長くこの地域に住んでいる方や、昔から自治会に関わってきた方は、自然に参加の導線を持っています。顔見知りがいて、声がかかり、活動の流れを長年見てきている。「次はあなたお願いね」と言われる関係性のなかにいます。

一方で、若い世代や、ここ5年、10年ほどのあいだに引っ越してきた新しい住民は、加入はしていても、その関係性のネットワークの外側にいます。活動を知る導線も、声をかけてもらえる関係も、まだ蓄積されていません。私自身が、まさに後者でした。

総務省の報告書が「新しく越してきた人や若年層の未加入」を主因として挙げているのも、おそらく同じ構造を別の角度から見ているのだと思います。「若いから入らない」のではなく、「地域への接続が、時間の蓄積に依存する構造になっている」。新住民や若い世代は、その蓄積を持たないまま、構造の外に置かれているのです。

だとすれば、解くべきは「若者の意識」ではありません。「根付いていない人にも届く接続の設計」のほうです。

働く世代を、時間の設計が最初から外している

接続の設計が、いまどうなっているかを見てみます。

自治会の運営は、対面と紙、そして特定の時間帯に強く依存しています。たとえば私たちの地域では、毎月の理事会は平日の夜、19時から開かれます。これは決して「昼間に偏っている」わけではありません。役員の方々が仕事のあとに集まれるよう、配慮された時間帯です。

それでも、会社勤めをしながら子育てをしている世代にとって、平日19時に毎月決まって場に出るのは、現実的にかなり難しい。悪意でも怠惰でもなく、時間の構造そのものが、働く世代を最初から外しているのです。

行事はどうか。防災訓練やお祭り、親睦会の多くは休日に行われます。これは働く世代にとって、平日夜よりはずっと参加しやすい時間帯です。けれど休日は休日で、家族の予定と競合します。そして決定的なのは、こうしたイベントが、新住民にとってほぼ唯一の「自治会との実接点」になっていることです。

実際、若い世代が自治会と顔を合わせる数少ない場面は、「子どもを連れて地域のお祭りに行く」ことだったりします。年に数回のその瞬間以外、自治会との接点は、回覧板と年一回の会費徴収しかない。接点が一点に細っているとき、そこに参加しなかった年は、その世帯と自治会のあいだに、丸ごと一年分の空白が生まれます。

接点が「設計されていない」とは、こういう状態を指しています。

「LINEでつながる」だけでは、たぶん埋まらない距離

ここまで読むと、「では LINE グループでも作って、若い人ともつながればいい」と思われるかもしれません。

ただ、それで埋まる距離なのかは、慎重に考える必要があります。以前、自治会で LINE グループを作る前に考えておきたいことを整理したことがありますが、若い世代ほど「LINE は家族や親しい相手のためのもので、ご近所さんとつながる場所ではない」という感覚を持っている、という調査結果があります。

「つながる」ことの心理的な重さは、世代によって違います。新住民や若い世代にとって本当に欲しいのは、「ご近所さんと密につながること」ではなく、もっと手前の「自治会が何をしているのかを、押し付けられずに知れること」かもしれません。

つながりの濃さを上げるより先に、知る入口の数を増やす。順番としては、そちらが先だと考えています。

では、入口をどう設計し直すか

ここで、安易に「デジタル化すれば若い世代が参加する」とは言いません。デジタルにしたから人が戻ってくる、というほど単純な話ではないことは、現場にいると痛いほどわかります。

それでも、デジタルが助けになりうる部分は、はっきりしています。それは「知る入口」を、時間と場所と関係性の蓄積に依存しない形で、もうひとつ用意できることです。

回覧板の束を平日の夜に読み込まなくても、自治会が何をしていて、次にどんな行事があり、どこから参加できるのかが、スマートフォンの画面で静かに見られる。それは、新住民や若い世代を「構造の外」から「構造の内側」へ引き入れるための、もう一本の導線になります。

大事なのは、それを既存の参加経路の置き換えではなく、追加の入口として設計することです。長く根付いた方々の対面の導線は、そのまま価値があります。そこに、まだ根付いていない人のための導線を、もう一本足す。両方が並んでいる状態こそが、「地域に住むすべての人を対象とする」という自治会本来の姿に近いはずです。

そして、その追加の入口は、誰にとってもかんたんでなければなりません。難しければ、結局また「使える人だけが使う」構造に戻り、別の層を外側に置いてしまうからです。

こうした「もう一本の入口」を、私たちは具体的な形でも試しています。たとえば、地域の場所を家族で巡って楽しめる企画や、地域のよくある疑問を住民自身が少しずつ育てていける仕組みです。狙いは、新しく越してきた世帯が、子どもと一緒に外を歩きながら、あるいは知りたいことを一つ調べるところから、構えずに地域に触れられる入口を増やすことにあります。

そして、こうしたコンテンツは、長く住んでいる方々が持っている地域の知識を、住民自身が持ち寄って作っていける形にしています。古くからの住民にとっては自然に蓄えてきた知識が、新しい住民にとっては最初の手がかりになる。一方通行の情報配信ではなく、根付いた人と、これから根付いていく人のあいだに、ゆるやかな接点が生まれるのではないか。これはまだ確信ではなく、私たちがいま設計に込めている仮説です。

まとめ ── 届かなかった層は、シニアだけではない

私たちは「インターネットを、火や電気と同じ公共の灯に」という考えを軸に、自治会向けのアプリをつくっています。当初、私たちが強く意識していた「届いていない層」は、デジタルに不慣れなシニアの方々でした。

けれど、自分自身が「外側にいた新住民」だった経験を振り返ると、届いていない層は、それだけではないことに気づきます。加入はしていて、会費も払っていて、本当はきっかけさえあれば関わる気もあった。けれど活動も入口も知らされないまま、構造の外にいた。数年前の私のような新住民や若い世代も、また「届いていなかった層」でした。

「若い人が入ってくれない」のではありません。多くは、もう入っています。足りていないのは、その人たちに活動と入口が届く、もう一本の導線です。

灯は、もう灯っている家にだけ届けばいいものではありません。まだ暗いままの窓に、押し付けずに、けれど確実に届くこと。その設計の対象に、若い世代も含まれている。外側にいた頃の自分を思い出すたびに、そう考えています。

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