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2026年5月21日

自治会の行事に人が集まらない、本当の理由 ── 足りないのは「初めての人の、最初の一回」

「自治会の行事に人が集まらない」とよく言われます。けれど現場で聞こえてくるのは、嘆きより『新しい人にも来てほしい』という願いです。常連は来る。足りないのは、初めての人の最初の一回。それを阻むのは情報不足ではなく、知り合いのいない場に一人で入る勇気でした。かつて一度も行事に出なかった新住民の視点から、参加の壁を整理します。

著者: 呑名 健造

総会や地域の集まりで、行事の話になると、よくこんな言葉が出ます。「もっといろんな人に来てほしいんだけどね」「若い人や、新しく入ってきた人にも、顔を出してもらえたら」。

意外に思われるかもしれませんが、「人が集まらなくて困る」という強い嘆きは、あまり聞きません。夏祭りにも、防災訓練にも、来る人はちゃんと来ます。聞こえてくるのは、嘆きというより願いです。いつもの顔ぶれだけでなく、まだ来たことのない人にも来てほしい、という願い。

私はいま自治会の地区理事をしていますが、その理事になるまで、地域の行事に一度も出たことがありませんでした。回覧板は読んでいたし、夏祭りがあることも知っていた。それでも、足は向きませんでした。

この記事は、その「一度も行かなかった頃の自分」の視点から、なぜ新しい人の足が地域の行事に向かないのかを、できるだけ正直に整理してみる試みです。

「人が集まらない」のではなく、「同じ人が集まっている」

まず、言葉を少し正確にしておきます。

「行事に人が集まらない」という言い方には、すでにひとつのズレが含まれています。実際には、人は集まっています。ただ、集まっているのが毎回だいたい同じ顔ぶれなのです。

私は地区理事になってから、いくつかの行事に運営側として関わるようになりました。正直に言えば、私自身は長く参加してきた常連ではないので、来ている人の一人ひとりが「昔からの常連」なのか「新しい人」なのかを、はっきり見分けられるわけではありません。それでも、自分の管轄する地区の行事を見ているかぎり、来ている方の多くは、毎年顔を合わせる方々のように見えます。

そして、もうひとつ気づいたことがあります。その「いつもの顔ぶれ」も、少しずつ年を重ねているということです。長く地域を支えてきた方々が高齢になり、行事に出てくること自体が体力的に難しくなってきている。今は集まっている層も、このまま放っておけば、いずれ細っていきます。

だから問題は、「人が集まらない」ことではありません。新しい人の最初の一回が生まれていないこと。そして、それを今のうちに考えないと、いつもの顔ぶれのほうが先に減っていく、ということです。

ここで、「来ない人は地域に関心がないのだろう」と片付けてしまいたくなります。けれど、それも正確ではなさそうです。多摩・島しょ地域の住民1,500人を対象にした東京市町村自治調査会の調査(2016年)を見ると、地域の活動に参加しない理由として最も多いのは「(活動を)知らなかった」、次いで「忙しい」で、「関心がない」はその次でした。関心がないから来ない、という単純な話ではないのです。

行事の告知は、足りている

では、来ない人は行事のことを知らないのでしょうか。

たしかに、先ほどの東京市町村自治調査会の調査で参加しない理由の一番が「知らなかった」だったことを考えると、情報を届けることが大事に思えます。ただ、ここは段階を分けて考える必要があります。

「自治会が何をしているのか、そもそも知らない」というのは、もっと手前の話です。それについては、以前加入はしているのに、活動も入口も知られていないという形で別に整理しました。

この記事で考えたいのは、その先です。個別の行事の告知そのものは、実はよくできています。

回覧されるチラシを見てみると、日時と場所はもちろん、子ども連れで参加していいのか、何を持っていけばいいのか、途中から参加してもいいのか、といったことまで、たいてい書かれています。初めての人が知りたいことは、紙の上にはおおむね載っているのです。

回覧板で行事の案内が回ってくる。読めば、内容はわかる。それでも、足は向かない。

つまり、ここから先で起きているのは、情報の不足ではありません。知っていても来ない。その理由は、紙に書ける種類のものではないところにあります。

足りないのは情報ではなく、「初めて一人で入る」勇気

では、何が足りないのか。

理事になる前の自分を思い出すと、答えははっきりしています。足りなかったのは情報ではなく、初めての場所に、一人で入っていく勇気でした。

地域の行事は、長く住んでいる人にとっては、気のおけない知り合いに会える場です。けれど、まだ顔見知りのいない新しい住民にとっては、事情がまったく違います。会場に行っても、話せる相手がいない。輪はすでにできていて、自分はその外側にいる。

それは、常連客ばかりのお店に、一人で初めて入っていくときの感覚に似ています。店の場所も、何を出す店かも知っている。それでも、扉を開けて入っていくには、ちょっとした勇気がいる。地域の行事も、同じでした。日時も場所も知っている。子連れで行っていいことも知っている。それでも、知っている人が一人もいない場に足を踏み入れるのは、思っていたよりずっと勇気のいることだったのです。

これは、私の感覚だけの話ではありません。さきほどの多摩地域の調査でも、住民が地域とのつながりをつくるきっかけとして最も多く挙げたのは「知り合いから誘われること」でした。逆に言えば、誘ってくれる知り合いがいないと、人はなかなか最初の一歩を踏み出さないということです。同じ調査では、普段から近所の人と立ち話をするような関係がある人ほど地域の活動に参加していて、挨拶程度の関係しかない人は参加が少ない、という傾向もはっきり出ていました。顔見知りの関係が、参加の前提になっているのです。

そして、もうひとつの壁があります。優先順位です。

仕事があり、家族の予定があり、その合間で暮らしていると、地域の行事は「行けたら行く」の位置に置かれます。これは無関心とは違います。関心はある。けれど、自分の生活の段取りのなかで、どうしても順番が後ろに回ってしまう。後ろに回ったまま、その日が過ぎていく。

「一人で入る勇気がいる」場所は、よほどの動機がないと、優先順位が上がりません。勇気のハードルと優先順位のハードルは、別々のものでありながら、互いを高め合ってしまうのです。

「最初の一回」さえ越えれば、壁は急に低くなる

ここまで読むと、ずいぶん高い壁のように聞こえるかもしれません。けれど、私自身の経験から、ひとつ確かなことが言えます。

その壁は、最初の一回さえ越えてしまえば、急に低くなります。

私が地域の行事に出るようになったのは、理事になったからです。理事になると、行事はほぼ「出るのが当たり前」のものになります。夏祭りでは出店の準備をし、防災訓練でも、運営する側に回る。選んで参加したというより、役割として参加した、というのが正直なところです。

けれど、その「半ば強制的な最初の一回」が、私にとっては大きな意味を持ちました。一度行ってしまえば、二度目からは、もう知らない場所ではありません。顔を覚えた人がいる。前回少し話した人がいる。あれだけ高く見えた「一人で入る勇気」のハードルが、二回目には、ほとんど消えていました。

そして、行事に来ている方のなかには、「以前、地区理事をやっていた」という人が何人もいました。役割として一度関わった人が、その役割を終えたあとも、今度は来る側として残っている。一度越えた人は、外側から内側へ移っていくのです。

これは、私一人の特殊な経験ではないようです。先ほどの調査でも、必ず参加しなければならない状況や行事は、気が進まないながらも参加のきっかけになりうる、と指摘されていました。半ば義務で踏み出した一歩でも、それが最初の一回になりさえすれば、次につながる。

考えてみれば、理事の「強制参加」が効いたのは、強制だったからではありません。理事として行事に行くとき、私は一人ではなかったからです。周りには同じ理事がいて、やることがあって、居場所があった。常連客ばかりのお店に、一人ではなく、何人かで、しかも役割を持って入っていく。それなら、扉は開けられます。

では、最初の一回をどう設計するか

ここで、「だからデジタル化すれば人が集まる」とは言いません。デジタルにしたから新しい人が来てくれる、というほど単純な話でないことは、現場にいるとよくわかります。

私たちが自治会向けのアプリで用意している行事の予定表や、前日のお知らせ通知は、「行事があることを知ってもらう」「忘れないでいてもらう」ための土台です。それ自体は必要なことです。けれど、ここまで見てきたとおり、知らせるだけでは、最初の一回は生まれません。

では、何が要るのか。整理すると、三つになります。

ひとつめは、「誘い」が生まれやすくすること。最初の一回のきっかけは、ほとんどの場合「知り合いからの誘い」でした。だとすれば、行事の知らせを「お知らせ」で終わらせず、「ご近所の方を誘ってみませんか」と一声を添えるだけでも、意味があります。デジタルは、その一声を、誰かに届けやすくすることができます。

ふたつめは、初めての人を、一人にしない工夫。理事の「最初の一回」が越えられたのは、一人ではなかったからでした。初めて来た人が、会場でぽつんとならない。受付で一声かける、初めての人どうしを引き合わせる、案内役を決めておく。そうした小さな運営の工夫を、デジタルが置き換えることはできません。けれど、「初めての方はこちらへ」と前もって伝えておくくらいのことは、できます。

みっつめは、行事ごとに、目的と対象を分けて見せること。ひとくちに行事といっても、防災訓練と夏祭りとでは、目的も、来てほしい人も違います。「地域の行事」とまとめて流すのではなく、これは誰のための、何のための場なのかが伝わるように見せる。そのほうが、「これなら自分が行ってもいい場だ」と思ってもらいやすくなります。

そして、忘れてはいけないことがあります。行事を支えているのは、運営する理事たちです。準備や片付け、出店や受付。役員のなり手が足りない地域で、その負担が重すぎれば、行事そのものが先に立ちゆかなくなります。デジタルで理事の事務的な手間を少しでも軽くできれば、理事自身が行事に良い印象を持てる。良い印象は、「来年もやろう」「来年もまた行こう」につながっていきます。

デジタルにできるのは、最初の一回を「強制」することではありません。できるのは、その一回を、ほんの少し軽くすることです。

まとめ ── 灯は、まだ明るい窓の中だけにあるのではない

私たちは「インターネットを、火や電気と同じ公共の灯に」という考えを軸に、自治会向けのアプリをつくっています。

地域の行事は、その灯がいちばん見えやすい場所のひとつです。けれど、その灯は今、すでに集まっている人たちの輪のなかだけで、明るく灯っているのかもしれません。輪のなかは暖かい。だからこそ、外から一人で入っていくのは、まぶしくて、勇気がいる。

さきほどの多摩地域の調査では、地域の活動に参加してよかったこととして、いちばん多く挙がったのは「顔見知りや仲間が増えた」でした。最初は行事の中身がきっかけだったとしても、続けていくうちに、行く理由は「あの人に会えるから」に変わっていく。行事がうまくいくとは、たぶん、参加の目的が「行事」から「人」へと移っていくことです。それは、地域という関係そのものに、新しい人が根を下ろしていくことにほかなりません。

「行事に人が集まらない」のではありません。集まる人は、集まっています。足りていないのは、まだ一度も来たことのない人の、最初の一回です。

灯は、もう明るい窓のなかだけで灯っていればいいものではありません。まだ暗いままの窓の人が、勇気を振り絞らなくても、ふらりと一歩を踏み入れられること。その最初の一歩が、誰にとってもかんたんであること。外から眺めていた頃の自分を思い出すたびに、そう考えています。

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